最後に・・・私的修学院離宮

さて、最後になりましたが
上・中・下のそれぞれの離宮の素晴らしさはいうまでもありませんが
私が一番気に入ったのはこの田園風景です。




どうです、この棚田。
これが修学院離宮の敷地内にあるんです。


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もともとは、ここに後水尾上皇の内親王の山荘(現在の中離宮)があり、
そこを訪れた上皇がこの地を気に入り、上と下の茶屋(離宮)を造ったのでした。

当時は、下から上の茶屋へ行くのに田んぼのあぜ道を通ったのだそうです。
上皇がご自分で歩かれたのか、馬や籠に乗って行かれたのかはわかりませんが。

たぶん、今とあまり変わらないこの景色をご覧になったであろうと思われます。
上の茶屋のすばらしい借景もさることながら、そこへ行くまでのこの風景の中にも自然の移ろいを感じたことでしょう。

また常は御所の中にばかりいて、なかなかストレスの多い毎日。
たまに離宮にお出かけになって、こんなのどかな風景に囲まれ、どんなにリラックスされただろうと思います。
稲や野菜が出来るのを見かけ、もしかしたら農民にお声を掛けるような場面もあったのでは???なんて考えると、この離宮の意味も変わって来るような気がしました。



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棚田のへりにヒガンバナ。
日本の秋の原風景ですね・・・・


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江戸時代の頃は、修学院の敷地の垣根や柵は全周にはなくて解放されていたそうです。
というか、この田畑は上皇の土地ではなかったみたい。、
山裾の棚田の中に突然離宮が二つできちゃった!というわけです。

明治になって、中離宮が皇室に返還されたときに、柵がめぐらされ
昭和になってから、景観維持のために8万㎡にもおよぶ田畑を買い上げて付属農地としたのだそうです。

おかげで今もこの景観が残っているのね。
だって、この辺り修学院離宮の外はみな住宅地になってしまっているんです。



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現在は、農地は近隣の方に貸し出されているそうで、こうして一般の方が耕作しておられます。




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「収穫されたものは、皇室に献納させるのですか?」なんて、質問しちゃいました(苦笑)
が、それはないそうです

ここもまもなく刈り入れかな?

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先ほども書きましたが、江戸時代まではあぜ道を通っていましたが
明治天皇の時代になると、御馬車で上離宮・中離宮にいらっしゃったので
あらたに道が拡幅され松並木が施されました。
お馬車道と呼ばれています。

そっかぁ・・・明治天皇は東京から来られていたのよね。
しかも時代は馬車に。



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時代が徳川幕府全盛になって、朝廷の力も衰弱していった中で
後水尾上皇という人は、なかなか骨太な天皇だったようです。

85歳まで長寿を全うし、子どもも34名。
なかなかエネルギッシュ!!
しかも、学問や芸術にも秀でていたらしく、サロンなどもにぎやかであったらしい。
けど、そんな存在だけで終わりたくなかったのでしょうね。
幕府にも結構反発していたらしい。
勝手にお嫁さんもあてがわれるし、いろいろ文句つけられたりして
鬱積した思いはあったでしょうね。

そこで、幕府に云わないで勝手に譲位し、この離宮を造ることを思い立つ。
なんせ、資金と工事全般は幕府もち。
思い切りやりたいように、やらせてもらおうじゃないの!!と思ったか・・・
幕府も、これでおとなしくおさまってくれるのなら・・・と思ったか。

両者の思惑が合って、
かくして、借景をとりいれたスケールの大きな庭園と
建物自体は簡素だけれど、繊細で上品な室礼が施された山荘が完成。


ここで、観月の宴や、和歌の会、舟遊びなど優雅な時間を過ごされたのでしょうね。

でも、これで本当に上皇は満足だったのでしょうか???


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上皇の作られた和歌にこんなのがありました。

『世の中は 気楽に暮らせ何事も 思えば思う 思わねばこそ』
(思えば気になる、思いわずらうことなく生きてゆこう).

晩年はこんな心情だったのでしょうか・・・


上の茶屋から眺めるスケールの大きな庭園や東山の山里ののどかな風景が
波立つような若い頃の熱~い『負』の思いを平らかにして、
落ち着いた悟りの境地に引きいれてくれたのではないのかな・・・
と、帰って来てから写真を見て思いました。




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少しだけ紅葉が始まっていました。


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                     お わ り 




私的な修学院離宮。

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました















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この記事へのコメント

  • 月奏曲

    神事に使う耕作と思ったらまさかの【ただの水田】wwww

    そういや貴族階級は当時そこまでお金持ちじゃなかったのですね^^;
    長閑な光景だったのでしょうねぇ…
    2016年10月01日 20:44
  • biore-mama

    月奏曲さん、こんにちは。

    そうなんですよ。
    上皇とはいえ、そこまでは・・・
    云って見れば、田畑も借景だったんですね(苦笑)

    でも、この風景も含めてのスケール感が修学院離宮の魅力だと思います
    2016年10月02日 23:44
  • すーちん

    お早うございます
    広大な棚田、一般に
    使用されているとは
    良い事ですね~
    何しろ広いですね~
    2016年10月03日 10:11
  • biore-mama

    すーちんさん、こんにちは。

    やはり、皇室のご用地とはいえ
    耕作をする人手も確保するのは大変ですもんね
    なかなかいいアイディアです
    2016年10月03日 19:22

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